皆様からの「オシムへの伝言」を募集します。いただいたメッセージは著者・千田善が責任をもってオシムさんに伝えます。 ご応募いただいた方の中から、15名様に、オシムさんのサイン入りグッズをプレゼント!

2012/01

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 レアル・マドリードやレッドスター・ベオグラードなどを率いた名将、ミリャン・ミリャ
ニッチ元ユーゴスラビア・サッカー連盟会長の葬儀が17日(火)午後、ベオグラード新
墓地でしめやかにおこなわれ、オシムさんのほか、旧ユーゴスラビアの歴代のスター選
手・監督たちが国境を越えて総集結しました。

ボスニアからはオシムさん、スーシッチ代表監督ら、クロアチアからはマルコビッチ連
盟会長、ズボニミール・ボバン(現在イタリアでコメンテーター)、モンテネグロから
デヤン・サビチェビッチ連盟会長、そしてセルビアからドラガン・ジャイッチ(元代表、
元レッドスター会長)、ドラガン・ストイコビッチ“ピクシー”(名古屋監督)、シニ
シャ・ミハイロビッチ(前フィオレンティナ監督)、デヤン・スタンコビッチ(セルビア
代表主将)など。レアル・マドリードからブットラゲーニョ、アマンシオ(ミリャニッ
チ氏の監督時代のレアル主将)など。(セルビアのタディッチ大統領も列席)

ボスニアの「ドネブニアワズ」紙が写真入りで報じています。
http://www.dnevniavaz.ba/sport/fudbal/75858-fudbalska-elita-na-sahrani-miljana-miljanica-pljeskali-mu-kao-treneru-reala-u-baskiji.html

(ベオグラード市議会の追悼式典で、オシムさんは最前列、ジャイッチ氏の隣。ほかに
サビチェビッチ、ミハイロビッチらの顔も見えます)

ミリャニッチ監督のレッドスター、ユーゴ代表でゴールゲッターだったドラガン・ジャイッ
チ氏が弔辞。

「ミリャニッチは自分にとって、監督であり、先生だった。彼とともにサッカーを学ん
だが、それだけでなく、われわれにとって困難な時期に、彼はわれわれに人生を教えて
くれた……」

オシムさんはマスコミ各社の求めに応じてコメント。
(動画あり http://www.mondo.rs/motion/play.php?vid=8931

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 先週亡くなったミリャニッチ元ユーゴスラビア・サッカー連盟会長の葬儀に、ボスニア
サッカー連盟会長代行としてオシムさんも参列します。ベオグラードのメディアは、
「イビツァ・オシムも20年ぶりにベオグラードに来る」と報じています。

以下、旧ユーゴ国営(現在はセルビア)タンユグ通信の記事。

「ミリャンは偉大な人物だった」とオシム
 ーーミリャン(ミリャニッチ)の葬式に行くことはオレにできる最低限のことだ、と
 親友の追悼のために20年ぶりにベオグラードに来るオシムは語った

 ヨーロッパ中、世界中のサッカー関係者が明日(火曜日)、伝説のサッカー監督との
お別れに来る。UEFAやFIFA、レアル・マドリードの代表のほか、かつてのSF
RJ(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)の多くの友人がやってくる。その中には、
イビツァ・オシムの名もある。

 イタリアでのワールドカップで5位という成績を収めたユーゴスラビア代表の監督は、
1992年以来セルビアを訪れたことはない。当時はボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争
が原因で、(ユーゴ代表監督と)パルティザン・ベオグラードの監督を辞任した彼が、
監督という職業の師でもある伝説の「チーチェ」(ミリャニッチ氏のあだ名)に別れを
告げるためにやってくる。(注=ベスト8のことを当地では5位と呼ぶ)

 「(葬儀当日の)朝5時半に出発する。ミリャンの葬式に行くことはオレにできる
最低限のことだ」とオシムは語った。

 ミリャニッチの死去の報を耳にしたとき、非常に大きなショックを受けた、とオシム
は明かした。

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 残念なニュース。

ミリャン・ミリャニッチ元ユーゴスラビア・サッカー連盟会長が13日、亡くなりました。
81歳。オシムさんがユーゴスラビア代表監督をしていた当時、マスコミの批判に対して
全面的にオシム監督を擁護し、サポートしてくれた「恩人」でした。

レッドスター・ベオグラードの出身。1966年からの8シーズンでリーグ優勝4回、カッ
プ戦(チトー大統領杯)優勝3回。1974年からはレアル・マドリードの監督として、
就任初年度(1974―75)にリーグとコパの二冠。レアルにとってダブルクラウンを
獲得した初めての外国人監督となりました。

ユーゴスラビア代表監督として2回(1974年、1982年)ワールドカップ出場。また
世界各国で指導者を指導する巡回コーチとして活動。日本にも(たぶんJリーグ発足の
直前だったと思います)JFAの招きで来日し、指導者講習会をおこなっています。
名監督として、また理論家として高く評価され、著書も多数。世界中に指導者を輩出
している旧ユーゴスラビアでベオグラード大学などと協力して「指導者養成システム」
を確立した人物でもあります。

レアル・マドリードのサイト(日本語)でも、ミリャニッチ氏の死を悼む記事が。
http://www.realmadrid.jp/news/2012/01/news_33732.html

追悼式典は17日(火)正午、ベオグラード市議会ホールで。
その後、14時半からベオグラード市内の墓地で葬儀がおこなわれるそうです。

合掌


 火曜未明(欧州時間月曜夜)のFIFA年間表彰式、バロンドールには男子はメッシ、
女子は澤穂希選手が選ばれました。最優秀監督賞は男子グアルディオラ(バルサ)、
女子は佐々木則夫(日本女子代表)が受賞。いよいよ「なでしこ=女バルサ」の構図が
はっきりしたといえるでしょうか。

おめでとう、澤さん、佐々木監督、なでしこジャパンの選手のみなさん。

また、フェアプレー賞には「震災の被害者を励まし、サッカーを通じて勇気と希望を示
した」として日本サッカー協会が選ばれました。

澤さんの受賞の背景記事としては、スポーツナビの江橋さんの記事をどうぞ(↓)

「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由(江橋よしのり/スポーツナビ)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201201100001-spnavi.html

澤さんと同じ「フロク」出身の、中村憲剛選手も「後輩として」祝福しています。
http://nakamurakengo.cocolog-nifty.com/message/2012/01/post-f207.html

バロンドール(Ballon d'Or)はフランス語で「黄金の球」。英語なら「Golden Ball」賞、
いわば「金球賞」です。男子は1956年から、女子は2001年から表彰がおこなわれて
いるそうです。

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 年末には決まるはずだったボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督人事、ようやく決定し
ました。当初の方針通り、サフェト・スーシッチ現監督(ワールドカップ1990年イタ
リア大会のユーゴ代表エースで、オシム監督の愛弟子)の留任(契約延長)となりま
した。これでオシムさん(事実上のボスニア・サッカー連盟最高責任者)もひと安心。

スーシッチ監督は「連盟指導部からの信頼に感謝している。当面の最大の目標は2014年
ブラジル大会(ワールドカップ)出場だが、(組み分けに恵まれて)大きなチャンスが
ある」などとコメント。

オシムさんも「パーペ(スーシッチ監督のあだ名)へのオファーは、ボスニアの最高の
選手たちである代表チームに、さらにポジティブなインパルスを与えるためだ。昨年は
(ワールドカップ予選に向けて)高いクオリティを持っていること、よい結果を出すた
めのポテンシャル(潜在能力)があることを示してくれた」と期待を表明しました。

「一度手を付けた仕事は完成させるまでやり遂げるべきだ」(オシムさん)との意向を
うける形で、ボスニア・サッカー連盟がスーシッチ監督への契約延長をオファーしたの
が約1カ月前。ユーロ予選のプレーオフでポルトガルに完敗し、惜しくも本大会出場権
獲得はならなかったものの、予選同組のフランスとほぼ互角に戦うなどの実績を評価し
たものでした。

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 オシムさん新年インタビューの続きをお送りします。前回までの「ジュールナル」誌の
インタビューにかわって、今回は年末の共同記者会見から(主催:ボスニア記者協会)。

会見にはオシムさんのほか、サッカ−連盟正常化委員会ファルク・ハジベギッチ委員
(1990年W杯イタリア大会でのユーゴスラビア代表主将)らも出席。

出席者たちは、2011年について、連盟の規約問題で資格停止寸前まで陥ったところから
資格回復・ユーロ予選参加を実現。また連盟の規約改正、機構改革などに着手。財政も
好転したが、未払いの債務も多額に上り、解決は持ち越しになったこと、などを報告。

また、代表チームの活動については、ユーロ予選突破まであと一歩というところまで
進み、残念ではあったが「選手たちやスーシッチ監督の仕事には満足している」(ハジ
ベギッチ氏)として、スーシッチ監督との契約更新を希望(年内に結論は出ていない)。

今後は、ワールドカップ・ブラジル大会への予選突破(グループ首位での通過)を目標
に、代表の活動改善と強化を進めていく。親善試合では、イラン、日本、チリなどから
申し込みが来ている。すべての年代の代表について、選手たちがボスニアのためにプレー
していると実感できるよう、また代表チームと連盟との関係も緊密化していくことなど
の方針を表明しました。

これらを受けて、オシムさん(記者団からボスニア・サッカー連盟の救世主と呼ばれる)
が発言。

オシム こんごの最大の目標はブラジル大会(W杯)への出場権獲得だ。(2011年の)
ユーロ予選プレーオフで何があったかを正当化する余裕もないし、責任を誰かに押しつ
けることもできない。ボスニア代表がポルトガルと同じレベルにあるのならば、ユーロ
に参加できない理由を探さねばならないかもしれないが……。代表チームには全員が
力を合わせてサポートしなければならない。しかし、同様に、われらが代表チームを
われわれは過大評価していたかも知れない。選手たちは、過大な世論のプレッシャーに
耐えることができなかった。(選手たちを精神的に)追いつめてしまった。

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 ボスニア誌「ジュールナル」のオシムさん新年インタビュー(2)

ーー2011年はボスニアのサッカー救出の年だったと言ってもいいか、それとも……?

オシム まだ少し早いかもな。それに、サッカーが救われるという表現は適切ではない。
サッカーは自己救済能力のある存在だろう。2011年は、転換の年、または真実の年(真
実が明らかになった年)だったとは言えるだろう。これから、何が可能で、何が不可能
かが明らかになっていく。もう逃げられない。まるでユーロ予選のようだ。

 というのは、フランス戦では、ボスニアに何ができるかを示した。しかし、一方で
プレーオフのポルトガル戦では何ができないかがあらわれた。もちろん、目をしっかり
閉じていれば、何ができないかを見なくてもすむ。見なくてもすむならば、目を閉じて
いた方がいい。しかし、このような問題(サッカー連盟内の腐敗問題)を前に目を閉じ
ていることはもはやできない。ただ、解決のためには、もう少し、静かで落ち着いた
環境が必要だろう。

 落ち着いて、あらゆる情報をじっくり分析する必要がある。一方(ワールドカップ
予選で同組になった)ギリシャとスロバキアの情報を軽視するなら、死活的な重大問題
になるだろう。選手たちは、相手が強くないという情報を受け入れたがるものだ。しか
し、サッカーには相手がいるということを忘れてはならない。

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 新しい年が明けました。
2012年がみなさんにとって良き年となりますよう。
今年も、よろしくお願いします。

こちらはクリスマスのサラエボから戻り、なでしこジャパンなどテレビで見ながら、
まったりと大晦日。元旦も朝から女子決勝、午後も男子天皇杯決勝とサッカー漬け。
明日(2日)は蹴り初め。ちょっと身体を動かしておくか……。

オシムさんはボスニア誌「ジュールナル(ジャーナル)」の新年インタビューに答え
ボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー連盟の正常化委員会の仕事や代表チームなどの
裏話を(ちょっと)明かしながら、2012年の目標はボスニア代表のワールドカップ
予選突破(プレーオフでなくグループ首位通過をめざす)、ボスニア・サッカー連盟の
財政的立て直し、ボスニア・リーグのチーム数適正化などをあげました。

ボスニア誌「ジュールナル」新年インタビュー(要旨)
イヴィツァ・オシム氏(ボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー連盟正常化委座長)

【前文】イヴィツァ・オシムは最後の瞬間、ボスニア・サッカー連盟とサッカー界を
危機から救出し、代表チームがユーロ予選を戦い続けられるよう可能にした。ほかの
だれでもなく、オシム氏こそが2011年をポジティブに象徴する人物であった。

ーーもう何年もの間、われわれはあなたが会長であれ代表監督であれ、サッカー連盟の
仕事に加わってほしいと願ってきた。なぜ、この時期になって決断を? また決断まで
にどれだけ熟考したのか?

オシム ある日、こういう電話がかかってきたんだよ。「ちょっと、来てくれ」と、
そういう言葉で、どれだけ公式だったのか,非公式かは知らない。話を聞くと、客観的
にいって、面白そうなわけだ。

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 メリークリスマス!
いまサラエボに来ています。

サラエボはホワイトクリスマス。
ーーと書くとロマンチックなようですが、じつは数日前には大雪でサラエボ空港が
閉鎖され、こっちは乗り継ぎ地点で8時間も待たされ、あちこち引き回しの刑など
虐待を受けながら、ヘトヘトになって到着したのでありました。

いまも雪が舞っています。気温はマイナス5度。粉雪です。
昨夜のクリスマスイブ。サラエボの中心部、カトリックのカテドラルでは「キリスト
ミサ(クリスマスミサ)」がおこなわれ、テレビでナマ中継していました。宿舎から
遠くないので行ってみようかとも思いましたが、雪だし、ナマ中継あるし……
で、「テレビ観戦」(笑)

戦争前のサラエボの人口の半数はムスリム人(イスラム教徒=最近ではボシュニャク
人と呼ばれることが多い)でしたが、戦争から20年(停戦から16年)たった今では
おそらく、その割合は7割以上にまで増えているはずですが、クリスマスは健在!

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 現役引退を決めた宮本恒靖選手、ちょっと寂しいですが、これからヨーロッパで指導者
になる道をめざすとのこと。ぜひ、がんばってほしいです。

英語に続き、オーストリア時代にドイツ語も習得。ヨーロッパでライセンスを取るだけ
でなく、ブンデスリーガなどで監督ができるような活躍を期待します。かれの語学力は
定評があって、オシムさん夫妻はかつて、つぎのような会話をしていました。

アシマ「○○(選手名)は、ドイツ語が上手になったわね」
イビツァ「○○のドイツ語が上手だというなら、宮本はドイツ人だ」
        (ドイツ語をドイツ人のようにしゃべるという意味)

(通訳は見た)(笑)

オシムさんは選手が海外に移籍するだけでなく、指導者も挑戦すべきと提言しています。

そういう意味では、岡田さんが中国の杭州の監督に就任することは、心から応援したい。
これまで、協会が途上国を援助する一環としてアジア諸国の代表監督などに人材を派遣
したことはあったけれど、岡田さんの中国行きは実力が認められてのオファー。ぜひ、
活躍して、「先駆者」として後進に道を切り開いてほしいものです。

(有力チームの監督として活躍している例は知りませんが、個人的に、GKコーチなど、
アジアの中で強豪チームのスタッフとして活躍している日本人指導者は何人かいます)

選手の輸出国ではブラジルが1位、アルゼンチンが2位、などの数字が知られています。
指導者ではどうなのでしょう。「監督輸出国」としての正確な数字ではありませんが、
ボスニアの新聞が最近、UEFA公認の「プロ」ライセンスの保持者の国別ランキング
を掲載しています。

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